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ノルシュティン・ベッケラーは、お祭りが大好きだった。
彼の実験小屋にはいつもたくさんの人間が訪れて、
ちょっとしたアトラクションと交換に、
彼が作ったドッペル人形を持って帰る。
彼はお祭りと同じぐらい人間が好きだったし、
ドッペル人形を作ることは、彼にとってライフワークだった。
不安定な、美しさ。
天候や季節、気温の変化、木々の見せる移り変わる表情。
そのどれよりもめまぐるしく、あざやかな美を見せる、
それが彼にとって、人間という存在だった。
だから彼は、人々がいのちを謳歌し、
花火のように幸福に輝いている時代、AD1000が好きだった。
だから彼は、いつまでもドッペル人形を作る。
それは人間に似せて、そこに人間を写して。
それができる自分のことも好きだったけれど、
どうしたって人間にはなり得ない自分も、そこにいて。
そんなことは遥か昔に諦めて、すっかり忘れていたけれど。
「シルバーポイントカード!いくら払う?」
本当に数え切れないほど繰り返してきたベッケラーのその問いに、
赤いツンツン頭の少年は、元気よく
「80!!」と答えた。
……この少年は、一度死んでいる。
ベッケラーの作った、少年のドッペル人形が滅されたことで、
ベッケラーはそのいきさつを仔細に渡って知っていた。
人間は好きだが、個々の人間に対して
特別な感情を抱くことなどないベッケラーは、
いつもと同じように、少年にゲームの説明をした。
檻の中に、魔物を追い返す単純なゲーム。
瞬発力と、瞬時の判断が要求される、12歳以下はお断りのゲームだ。
幻のかがり火の上に吊るされる、人質。
指ひとつ動かすだけで、いつものように人質を
さらい上げたベッケラーは、ピクリとかすかに眉を上げた。
へんてこなヘルメットをして、眼鏡をかけた、いきのいい少女。
この少女のことも知っている。
少年が死んだ時、思いつめた青い顔をして、
少年のドッペル人形を取りに来た少女だった。
あの時、少女の後ろにいたポニーテールの少女は、
泣きはらした目をして、全身からピリピリした雰囲気を発していたけれど。
触っただけで、氷に包まれそうな鮮烈な悲しみ。
眼鏡の少女は、ただじっと落ちついた雰囲気で、
そんな背後の少女をかばうようにして居た。
だけどその、胸のうちの無数の大きな引っ掻き傷を、
あの時ベッケラーは垣間見てしまったのだ。
自分がついていながら、
自分は何もできなかった、
自分が不甲斐無かったから。
自責の念だけで自分の内側を掻きむしり続け、
消えることのない傷だけがどんどん増えて行き
重なり、重ねられた、血の滲む爪あとで心の壁が塗り込められて、
けれど決してそれは、他者に向けられるものではなく。
そんな状態の自分を省みることもなく、
胸の内側がいくら火に焦がされ爪に切り裂かれても、
冷静な表情をして他人に微笑みかけられる、強さと弱さ。
……このままでは、眼鏡の少女がこわれてしまう。
焦りという感情を久しぶりに体験したベッケラーは
それが何なのか、思い出すのに数秒かかったけれど。
気がついた時には、例外として、
本人以外にドッペル人形を渡すことに決めてしまっていた。
失敗しても、人形はあげる。お金をもらうけどね。
稀代の魔導士たる彼にそこまで言わしめたのは、この眼鏡の少女。
誰よりも賢く、誰よりも強く、誰よりももろい。
彼が大好きな「人間」が、まさにそこにいたから。
「キャー!」
幻の炎に包まれた少女の悲鳴で、ベッケラーは我に返った。
モンスターに囲まれ、ポカポカ殴られて目を回している少年。
ベッケラーはついっと指を降って火を消し、
モンスターたちを檻の中へと追いやった。
「いててて…」
苦笑しながら起き上がる少年に、少女は
「全くもう、何回ゴンザレス叩けば猫が貰えるの?」
と少々おかんむりだ。けれどその目は笑っている。
「ごめんごめん……」
ちょっと呆れた様子でため息をついて、少女は
「仕方ないわね。もう一回集めて来ましょ」
と言ってニッコリと笑った。
あんなにたくさんあった傷も、今は跡形もなく、
誰もが釘づけになるであろう、ヒマワリのように燦然と輝く笑顔。
少女にこんな笑顔をさせられる少年を見て、
ベッケラーは自分のどこかがチクリと痛むのを感じた。
それが、とうの昔になくした胸の辺りだということに
気がつくのに、やっぱりしばらくかかったけれど。
笑いあいながらテントを出る、少年と少女。
そして程なくしてテントの外から、小さな猫の鳴き声と、
「あれ?この子猫……迷子かしら?」
という、嬉しそうな声が聞こえてきた。
これがノルシュティン・ベッケラーの許した、二度目の例外。
おしまい
あとがき