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雪に覆われた地表に、すべからく全ての民が落ちてすぐに、
それは人々の頭上に、忽然と姿を現したのだった。
全ての時代にまたがって、黒くまがまがしく輝き続ける、星の、悪夢・・・
誰が言い出すでもなく、それは、人々から「黒の夢」と呼ばれるようになった。

ルッカは自宅で、ロボのメンテナンスをしていた。
砂漠地帯を400年ものあいだ耕し続けたことで、
ロボの全身は外装だけでなく内部までをもひどい錆に覆われていたし、
本格的に壊れてしまったらきっと
ルッカの手に負えないであろう精密な部分にも
砂が入り込んでいる可能性があった。
「ちょっとアリスドームに飛んで、
 まだ使えそうな部品が残ってないか調べて来た方が良いかしら」
「スミマセン、ルッカ・・・」
「何言ってるの」
くすっと笑ったルッカの背後を、洗濯籠を抱えた母親のララが
「まあまあ、私もルッカも忙しいこと。でも、随分楽しそうね?」
と声をかけて通り、外に出て行った。
程なくして洗濯物をパンパンとはたく軽快な音と、
楽しそうなララの鼻歌が聞えて来た。
ルッカはというと、ロボの整備の手を止めて、
しばしぼんやりと母親の鼻歌を聞いていたのだが、
「あ、ごめんごめん」
と我に返り、整備を再開した。
薄紅色の口元に、おだやかな笑みを浮かべて。
カチャカチャという整備の音と、外から聞こえるララの鼻歌が
軽快なリズムで混ざり合い、とても心地よいとロボは思った。
こういうあたたかい感情を教えてくれたのはルッカだったし、
ララの足が治ったことを、ロボは心から喜んでもいた。

ロボの背中を開けたルッカが、特殊なハケを使って
注意深く砂や微小な埃を取り除いていたときだった。
「おばさま、こんにちわ!」
「あらマールちゃん!そんなに慌ててどうしたの?」
というララの声が終わらないうちに、バン!と音をたてて戸が開き、
息を切らせたマールディアが駆け込んで来たのである。
驚いて顔を上げたルッカに、マールは大声で訴えた。
「どうしようルッカ、魔王が居なくなっちゃったの!!」

ララに出された冷たい香茶を一気にあおり、
マールはプハーっと大きく息をついてから
手の甲でごしごしと口をぬぐった。
およそ王女様らしくない彼女のそんな所作に、
ルッカはとっくに慣れていたし、
いまここにはそんなことをとがめる者は誰もいない。
「一体どういうことなの?
 魔王はクロノ達と一緒だったんじゃないの?」
「私にもわからないよ〜。クロノとカエルが二人で帰って来て、
 魔王がいなくなっちゃったって・・・!」
まだ興奮している様子のマールを、ルッカはとにかくなだめた。
「シルバードに乗ってったわよね・・・あいつら、どこの時代に行ってたの?」
「それもわからないの・・・。
 クロノはもともと何かあってもぺらぺら言うほうじゃないし、
 カエルも何だか様子が変で・・・、ああ!」
頭を抱えたマールをさらになだめてから、ルッカはふと目を落として言った。
「まさか魔王、カエルと何かあったんじゃ・・・」
「わ、わからないよー・・・」
途方に暮れ切った表情のマールと、まだ整備が終わらずに
背中を開けたままのロボを交互に見て、ルッカはよしと頷いた。
「とりあえずあなたはここで待機してて。クロノ達、いまどこ?」

時は、数時間前にさかのぼる。
いや、正しくは、1万3千年前だと言ったほうが正しいのだろうか。
クロノ、魔王、カエルの3人は、古代にいた。
地の民も、光の民も、生き残った人々は、残された小さな島で
肩を寄せ合うようにして途方にくれていた。
彼の生きてきた時間でかぞえて十数年前に、
彼にとっては遥かな未来になる時代に飛ばされてから、
見る事ができなかった「その後」の王国を、この歳になって見られるとは。
だがここはもう、彼にとっては十数年前から彼の世界ではなかったし、それに・・・
「魔王!」
カエルの声で、彼の思考は中断された。
岬の上だった。
そろそろ夕刻で、傾きかけた太陽がまぶしく輝いており、
海と空とあの「黒の夢」をきらきらと橙に照らしていた。
空気こそ冷たかったが、氷の嵐が吹き荒れることはもうない。
日増しに暖かくなる陽光が、氷河期は終わりだと高らかに告げているようだった。
・・・氷河期、か。だが、俺の氷河期は・・・
またいつものように埋没しそうになる思考を
意識的に素早く浮上させ、最小の動作で背後を振り向くと、
カエルとクロノがこちらにやってくるところだった。
「どうした?」
無表情に訊き返した魔王に、カエルは威勢良く答えた。
「どうした?じゃあないってんだ。
 あのいまいましい黒いやつに、乗り込むかどうかって・・・」
「カエル!」
クロノがとがめるように呼んだ。
実際とがめていることは、続きを聞かずともカエルにはわかった。
ルッカやマール、ロボそしてエイラの4人には、今日は特に何も言っていなかったから。
だから、いきなりあんなところに乗り込むなんてそんな事は。
「・・・わかってらぁ」
どこから見ても蛙なのに、カエルは器用にちっと舌打ちをしてから、
もと来た道をスタスタと村のほうへと降りて行った。

少し風が出てきたようで、魔王の濃い色のマントと
クロノの赤いツンツン頭を、冷たい空気がそよがせた。
カエルの苛立ちは、クロノには良くわかっていた。
愛する国のかたき。親友を目の前であやめた、憎むべきかたき。
それだけは確かな、魔王という人間だったが、
そう、魔王は、カエルも誰もが予想しえなかった、「人間」だったのだ。
母がいて、姉がいて、いつか子供から大人へと成長した姿の、
自分たちとおなじ人間だったから。
ジール王国の崩壊と時を同じくして皆に振りかかった、クロノの死・・・、
魔王の協力を得てそれを乗り越えた今では、
クロノはもとよりルッカ達やカエルにも、
痛いほどよくわかるようになっていた。
魔王の痛みが。
長い長い闇と冷たい孤独の余り、凍てついた心が。
誰にもその心は溶かせないことが。
もしも溶かすことができるとすれば、それは・・・、
「誰も、あの後、サラさんを見た人はいないらしい」
あまりにストレートすぎたかも知れなかった。
しかし魔王は、眉一つ動かさず、「そうか」とみじかく答えただけだった。
そしてまた、ついっと海のほうを向いてしまった。
クロノにしろ、一度は悪と信じて剣を交えた相手だったし、
カエルにとっては生涯のかたきだという事実は変えようもない。
だからこそ、カエルはいまあんなにも焦っているんだろうとクロノは思う。
ぶっきらぼうであけすけに見えて、本当は几帳面で繊細なカエルには、
魔王にどう接して良いのかがわからないのだ。
いっそきっぱり無視してしまえれば良いのだが、
あいにくカエルに、そんな器用なことはできないのだろう。
カエルと魔王を一緒に連れて来たのは間違いだった。
ルッカ辺りなら一時的にしろ、ポンポンとうまくまとめて
とりなせるのかも知れないけど、僕にはちょっと荷が重い。
「先、戻ってるよ」
マントをはためかせながら、
沈みゆく太陽をずっと見ている魔王にそう声をかけて、
クロノは岬をあとにした。

そしてその日、魔王はとうとう戻らなかったのだ。

「こーの、大バカ者っ!!」
カンカンになったルッカが、クロノに怒鳴った。
いつもドジだとか世話が焼けるだとか言われながらも、
クロノはとりわけこの一連の冒険でしっかりしてきていたし、
それ以前にここ数年来というものは、
こんなふうに彼女が本気で怒鳴ることは珍しかった。
「ご、ごめん」
素直にうつむいて謝るクロノだったが、ルッカは容赦ない。
「結局古代でいなくなって、そのままですって!?
 一体なに考えてるのよ!!」

フカン図は描けまへーん

「ルッカ、そう責めるな。クロノばかり悪かぁない・・・」
「ああもう!じれったいわね。あんたたちの目はフシ穴?
 あんな状態の魔王を一人にするなんて!信じられないわ」
やはりルッカにも、魔王の雰囲気の
アンバランスな危うさはわかっていたようだ。
「間違いなく魔王は今、黒の夢でしょうね。
 古代にはほかに行くとこなんて、小さな島の村ぐらいしかないもの。
 ・・・魔王からの悩み相談なんて、これっぽっちも
 期待してなかったけど、まさかいきなり黙って出奔なんて。
 ロボの整備もまだだっていうのに・・・」
トレードマークのヘルメットに手をやって、はぁっと息をつく。
「けど、アイツ、サラのお守りを置いて行きゃーがった」
「え?」
「シルバードの道具袋に入ってたんだ」
「そう・・・。
 ということは、少なくとも、
 帰ってくるつもりではいる可能性は大きいわね」
またひとつ大きく息を吐いてから、ルッカは言った。
「もたもたしてられないわ・・・いくら魔王でも、
 あんなバケモノの要塞みたいなとこに一人で乗り込むなんて無茶よ。
 この際ロボの整備はお父さんに任せるとして・・・」
「俺も行くぜ」
「カエルはダメ」
反射的にダメだと言ったルッカだったが、カエルは予想に反してすぐに
「いや、行く」
と、もう一度はっきりと言った。
「・・・そう。止めないけど、ホントに大丈夫?」
何が大丈夫かと聞き返されれば、ルッカとて返答に困るところだったが、
カエルは素直に頷いて、のどを膨らませた(彼の微笑なのだ)。
「気苦労かけるが、大丈夫だ」
「・・・わかったわ。
 それじゃあ、クロノは悪いけど・・・、
 私の家に行ってマールとロボを見ててくれるかしら。
 マールは不安がってるし、ロボはまだ整備の途中だから」
「わかった。気をつけて」
「あ、それと、キーノが風邪引いたらしくって、
 エイラは来れないって言ってたわ」
ルッカが腰の銃を確かめて、クロノの部屋を出ようとしたその時、
「ルッカ!」
クロノが呼び止めた。
「ん?」
「・・・ごめんな。ホントに気をつけて」
「なぁーに言ってるの」
ルッカはニカっと満面の笑みを見せて、
「このルッカお姉様とサイエンスの力を信じなさい!」

この星がどうなろうと、砂塵の吹きすさぶ未来が待っていようと、
彼には知ったことではなかった。
ただ、復讐それだけのために。
独り、闇の中を生き抜いて来たのだ。
いつかの魔王城で、仮にラヴォス召喚に成功していても、
自分には倒せなかっただろう。
何故なら海底宮殿で、それははっきりと証明されてしまったから。
あんなにも長い間焦がれた瞬間に還れたというのに、
彼は無様に倒れ、クロノは死に、そして、サラも・・・。
『お前が死んだのは弱さのせいだ』
クロノに言った言葉が、自分の中でこだまして、彼を苛立たせた。
俺が負けたのは、弱さのせいだ。
俺が死ななかったのは、弱さのせいだ。

青白く光の尾をひいて、魔王が手にした「冥王の鎌」が空気までをも切り裂く。
31、32、33匹目。
「黒の夢」内部には、どの時代にも見られなかった
異形のモンスターたちが、無数に巣食っていた。
魔王が連続で放ったファイガとサンダガに、
バチバチと火花を散らしながらツインヘッドが焼け焦げ、崩れ落ちる。
地上から見上げただけでぞっとするような「黒の夢」。
内部はより黒く冷たく、静かな死の香りが満ちていて、
しかし皮肉なことにそれは、今の彼にとってはかえって心地良い。
最深部ではジールとラヴォスが、じっと待ち構えているのだろう。
51、52、53匹目。
奥に進むほど、まがまがしい空気がより濃く全身にまとわりつき、
彼はいつしか薄い笑みさえ浮かべながら、モンスターどもをなぎ払ってゆく。
・・・もうすぐ、もうすぐだ。
今度こそ、必ず今度こそ。
中世に落ちてすぐにビネガーを屈服させて以来、
今までに何十回、何百回となく胸の内で呟いてきた言葉が、
同じようにいままた彼の心を支配して、先へ先へと駆り立てた。

リン・・・。
「  ―――― 」

1時間以上を走り続けていた彼の足が、止まった。
かすかに息があがっているが、さほどではない。

「・・・サラ?」

幻聴か。
ここでは何が起きてもおかしくはない。
ジールほどになれば、魔王相手でも妖しげな術を行使し得るだろう。
なにしろ彼女は、魂はどうあれ、確かに彼の母親だったから。
そうだ。
俺の血筋は呪われている。
「クッ」
壮絶ともいえる笑みが、彼の顔に浮かんだその時、

「魔王っ!」

思いもかけなかった声が、背中にぶつかった。
「・・・!?」
らしくもない大きな動作で振り向いた彼の目に写ったのは、
こちらに駆けて来るカエルとルッカの姿だった。
「お前達」
「はぁ〜っ!やっと追いついたわ!!」
魔王の前まで来て立ち止まり、
身体を前に折ってはあはあと呼吸を整えるルッカ。
「馬鹿野郎!てめえ一人で先走りやがって!!」
カエルが食ってかかる。
「ったくよー、ここまで来るのにモンスターの死骸だらけで、
 派手な目印にはなってたけどよ!
 せっかくの黒の夢だってのに、グランドリオンがなまっちまわぁ」
まっさらに輝く重厚な聖剣を振ってぼやく。
「ふぅーっ・・・、あのね、魔王」
やっと呼吸をととのえたルッカが魔王に向き直ったが、
魔王はまたくるりと前に向かって、スタスタと歩き始めた。
「ちょっと、これ、どうする気よ!」
チリン・・・。
聞き慣れた鈴の音に、彼の足が止まった。
ゆっくりと振り向くと、ルッカがサラのお守りを掲げたまま、きっぱりと言った。

「逃げてばっかりね」
「・・・!」

魔王が何か言う前に、ルッカは素早くお守りをウェストポーチに入れた。
「これは預かっておくわ」
そう言ってパチンとポーチにふたをして、魔王の横に並ぶ。
「文句はねぇよな?わざわざ置いてったもんだからな」
カエルものどを膨らませて、ルッカの横に立った。
「これはあなただけの問題じゃないのよ。抜け駆けは承知しないからね」
一度ニカっと笑ってから、表情を引き締めるルッカ。
「そう、それにもう、引き返せそうにないわ・・・」
ルッカの見据える先にはひときわ大きな扉があり、
その奥からのただならぬ気配には、先刻から魔王やカエルも気付いていた。
「私はお母さんが大好き」
すうっと目を閉じて、ルッカは言った。
「あなたには、同情も理解も不必要なんでしょうけど、
 それでも私は・・・仲間だと思ってるから」
カエルは黙って、扉に手をかけた。
「・・・さあ、行こうぜ。全てのケリをつけるんだろ?
 これは誰のためでもない、それぞれの決着だ」

そして扉は、音もなく開いて。
昏い光の踊る長い廊下が現れ、3人は足を踏み出した。
それぞれの未来を、星の運命を賭けて。
 

「ねえねえ、それからどうなったのー?」
金色の三つ編みを揺らして、あどけない少女は青い瞳をくるくると動かした。
暖炉の炎が大きくゆらめき、赤いリボンの三つ編みに黄金の輝きが踊る。
「うん・・・、その後にね、
 ひねくれた魔法の王子様はね、お姉さんを探す長い長ーい旅に出たのよ」
「ええー。カエルのけんしさんは?みんなはどうなったの??
 おうじさまは、おねえさんにあえたの??」
不満そうに口をとがらせて、まだまだ幼い少女はもっと、もっととせがんだ。
「今日のお話は、ここまで。
 さ、もうお布団に入る時間でしょ?」
「・・・はぁーい。
 ルッカおねえちゃん、おやすみなさーい」

Fin.

あ と が き