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母さんが、歩けなくなったあの日以来、10年間、科学の道を信じて歩いて来た。
私が作って千年祭に出典した物質転送装置がもとで、
予想しようもない驚くべき冒険が目の前に開けたあの日を経て、
時代を超えたかけがえのない友人たちにめぐり会うことができた。
たくさんの喜怒哀楽を体験できたあの日々は、
振り返ると光の粉をちりばめたようにきらきらと輝いて、
いつまでも色褪せない。
そして筆を置いたルッカは、パタ、と日記帳を閉じて窓の外に目をやった。
トルースの湾にある島、そこにルッカの家はある。
しょっちゅう機械音、水蒸気、まれに爆発音、
そんなものの絶えないルッカ宅には、まさにうってつけの場所だといえる。
小さい頃からよくあの橋を駆けて、クロノが遊びに来たなぁ。
だけど日中の喧騒と夕飯どきも過ぎたこんな時刻は、
耳をすまさなくても優しい潮騒の届く、ルッカのお気に入りの窓辺だ。
砂浜で遊んだのは、もう随分昔のことで、最近は窓から眺めるだけだけど‥‥。
‥‥友人たちは、それぞれの帰るべき時と場所に。
ゲートは閉じても、結局壊せずに車庫に入れてあるシルバードで、
会おうと思えばいつでも会いにゆけるのだ。
だけどルッカは、クロノやマールも、皆に会いに行こうとは言い出さない。
だからシルバードはあの日から、埃をかぶったまま。
星の見る夢を、星と共に見られたのは、ラヴォスを倒したあの日まで。
全ては束の間の、星の夢に過ぎなかった。
でも、友と力をあわせ、命を賭して戦い抜いた結果
その夢を守れたことは誇りだと、ルッカはそう思うのだ。
コン! ‥‥コツン
窓に何かが当たった。
窓を開けて身を乗り出して見ると、庭に、クロノが立ってこちらを見上げている。
「クロノ!どうしたの?こんな時間に」
「しーっ」
クロノは人差し指を唇に当ててから、降りて来いよと身振りで呼んだ。
まだ春には遠い夜で、二階から見下ろしてもクロノの息ははっきりと白い。
とっくに寝るための身支度を済ませていたルッカは、あわててガウンを羽織り、
そしてクロゼットから適当なサイズのマントを引っ張り出して部屋を出た。
さく さく さく さく
庭の芝生は砂浜の砂と混じりあい
歩いても走っても同じ、かわいた音がする
昼間は小春日和だったけど
夜になるとこんなに冷たい、空気
急いでクロノのもとに駆け寄って、ルッカはマントをクロノの肩にかけた。
今まで気がつかなかったけど、とっくに背の高さ、抜かれちゃってたのね。
「どうしたのよ?こんな時間に‥‥こんなに冷たい!」
思わずクロノの手を取って、ルッカは声をあげた。
暗い夜でも潮騒と濃い潮風は、ここが海辺なんだとはっきり全てに告げている。
「うん、ちょっと、顔が見たくなって」
いつもの無垢な笑顔で、どきっとするようなせりふを言う。
暗いから、目が泳いだの、バレてないわよね。
「‥‥とにかく入って?お茶入れるわ」
きびすを返しかけたルッカの手を、クロノはくいっと握って止めた。
「待って、ルッカ。見せたいものがあって来たんだ」
「見せたい、もの‥‥?」
「こっち」
クロノはルッカの手を取ったまま、砂浜のほうへと歩きだした。
さく さく さく さく
潮騒と海風、冷たい空気、空には頼りなく白い満月
雲がよぎっただけで消えてしまいそうな、満月
だから全てが蒼く染まってしまいそうなほど寒いのに
クロノが手を握っているだけで こんなに暖かい
「ほら、ルッカ!」
クロノの声でハっとして、目の前の風景を見た。
限りなく黒に近い、広くさざめく夜の海。
そして、海中に光る、無数の光の粒たち。
「クロノ‥‥」
「ね、思い出した?」
そうだ、小さい頃、幾度も日が暮れるまで遊んで、
二人で砂浜に座って海を見た‥‥。
時を忘れて遊び過ぎたそんな夜、
ジナやララが呼びに来るまでの束の間、
いつも海の中には、ほの光る無数の夜光虫。
随分長いこと、忘れていた。
そしてここで、指きりをして約束したことも‥‥。
「‥‥‥。」
「どうしたの?」
いたずらっぽくルッカの顔を覗き込むクロノ。
「な、何でもないわよ」
「あれれ?約束、忘れちゃったの?」
『ルッカ、大きくなったらボクのお嫁さんになってくれる?』
『ダーメよ、クロノは小さいもの』
『じゃあ、じゃあ、ボクがルッカより大きくなったら‥‥』
『ほほほ!なれたらね!』
『!‥‥本当に?約束だよ!』
『え‥‥、まあ、いいわ。おんなににごんはないものよ』
『じゃあ、指きり!』
『しょうがないわねえ、クロノは子供だから』
『ルッカだって子供じゃないかぁ‥‥』
『クロノよりは大きいわよ』
『む、むぅ‥‥いつかぜったい、追い抜いてやるんだ』
『いい?クロノ。絶対なんて言い切れることはないのよ』
『‥‥』
『って、お父さんが言ってた』
『‥‥くす』
『ふふ』
クロノははちまきをしてなくて、ルッカも眼鏡をかけてなかった。
時間を忘れて、夢中で砂のお城を作ったあの頃の、そんな約束。
「あの時ルッカ、女に二言はない!とまで言ったもんね?」
からかうように楽しそうに、クロノは口笛を吹いた。
そういえば、いつだったか、口笛を先に吹けるようになったのは、クロノ。
いつもお姉さんぶって、だけど置いて行かれないように必死だったのは、
本当はどっちだったんだか‥‥。
でも悔しいから、コイツにはそんなこと、たぶん一生言ってやらない。
「忘れてないわよ‥‥」
隣に立ったクロノに、とん、と身体をもたせかけた。
クロノが口笛を止める。
「いろんなことが、あったわ‥‥」
「うん‥‥」
そっと肩を抱く力強い手を、ルッカは心から大切だと思った。
潮風はいつも、変わらない。
数多の出会いと別離を繰り返しても、
寄せては返す波はいつまでもここで、変わらない。
そしてルッカが忘れていた、夜の間だけ静かに輝くこの海も。
おしまい
あとがき